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養源院の願い

最終更新: 2019年6月3日




《養源院》


養源院は、三十三間堂に隣接する浄土真宗の寺院。浅井長政を弔うために、長女・淀殿(茶々)が夫・豊臣秀吉にお願いして文禄三年(1594)に創建した。


建物の内部に、狩野派と宗達による襖絵等が描かれた。狩野派は、徳川家に縁のある画師であるから、養源院の装飾に加わるのは自然。宗達は尾形光琳の祖父、雁金屋宗伯によって推薦されたというのが有力説。宗伯は本阿弥光悦の甥にあたることもあって、宗達とは顔なじ

みの間柄だった。その宗伯が、宗達を浅井家ゆかりの人々に紹介したことは十分に考えられる。ともあれこの仕事は、それまで一介の 町絵師にすぎなかった宗達にとって、日本の上流社会に認められるうえで、大きなきっかけとなったはずであるとされている。



《俵屋宗達》


桃山から江戸時代前期(17世紀)に活躍した京都を代表する絵師のひとりであるが、その生涯の詳細においては不明な点が多い。

江戸時代の儒学者・角倉素庵や歌人・烏丸光広と交流があったと考えられており、そのことから同年代、1570年代かそれ以前の生まれと推測されている。

京都の富裕な町衆の家に生まれ、土佐派を学んだともいわれている。

さらに、茶道もできて教養人であった。

俵屋宗達は京都で「俵屋」と呼ばれる絵画工房を率いて、扇絵や屏風絵、料紙の下絵などの制作を行っていたと考えられている。

養源院の障壁画の制作者に抜擢されたことで、絵師としての名声が高まり、後半生は多くの大作を手掛けるチャンスに恵まれた。陶芸や蒔絵、書などに才能を発揮するほか、芸術家や職人を育てることに力を注いだ当代一流の文化人である本阿弥光悦に見出され、有名な芸術家の書巻に下絵を施すなど、当時を代表する芸術家と共作で作品を手がけていたことが確認されている。俵屋宗達の作品で特徴的なのは「たらし込み」と呼ばれる技法である。

著名な作品には「風神雷神図」のような装飾的大画面のほか、水墨画の作例もあり、彼の作品3件が国宝に指定されている。

私淑によって断続された装飾性やデザイン性は「琳派」と呼ばれるようになり、俵屋宗達は「琳派の祖」と言われるようになる。

俵屋宗達が亡くなった年は宝円寺(石川県金沢市)で発見された俵屋宗達の墓とされるものから、俵屋宗達は寛永20年(1643年)8月12日に亡くなったと推測されたが、京都にも俵屋宗達の墓が見つかったため、明確な没年は分かっていない。



《琳派》


桃山時代後期,京都に興った美術の流派。

大和絵の流れをくみながら,大胆な空間処理によって装飾性に満ちた作品を生み出した。

作品の特徴として(1)豊饒な装飾性(背景に金箔・銀箔の使用など),(2)大胆でインパクトのある構図,(3)型紙を使った模様の繰り返し,などの点が挙げられる



《重要文化財の杉戸絵と襖絵》


宗達が養源院のためにした仕事は、客室を飾る二十面の襖絵(現在は十二面のみ)と、廊下の両端にある四面の杉戸絵である。

伏見城で戦死した武将たちの供養のために、普賢菩薩の乗り物とされる象や、文珠菩薩が乗る獅子などを描いたといわれているもの。

胴体部の班紋には絵具を重ねてにじませる「たらし込み」という手法の使われた「唐獅子図」、麒麟が跳ねる姿と形式にとらわれない波の描き方が新鮮な「波と麒麟図」もある。

また、松の葉や幹の抽象的が魅力とされている「金地着色松図」がある。

どれも構図の大胆さ、モダンなタッチが特徴的。



《描かれている動物といわれ》


白象 

特に東南アジアで神聖視される白いゾウのこと。


唐獅子 

中国伝来の獅子。獅子を美術的に装飾化したもの。ライオンを基に東アジアで形象化され、巻き毛に覆われた、幻想的な形状で表される。


麒麟 

中国神話に現れる伝説上の動物。聖人が出現する前兆として現れるといわれた。

普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。神聖な幻の動物と考えられており、1000年生きるという。



《白象図》


養源院本堂廊下の東端に、西端の唐獅子図に向き合う形で、「白象図」の杉戸絵がある。「唐獅子図」同様二枚一組で、左側には、牙をむきだして身構え、今にも敵に襲い掛かろうとしている象、右側にはその象を見下ろしている仲間らしい象の姿が描かれている。

白象は、唐獅子同様、仏教を守護する聖なる生き物として捉えられていた。しかし唐獅子ほどは、寺院の守護神としてポピュラーなわけではなかったため、単独で飾られるよりも、この養源院の場合のように、唐獅子とセットで飾られることが多かったようだ。

宗達のこの白象図は、二体セットになっているが、それは唐獅子の二体セットに対応させたとされている。二体それぞれの表情といい、体の動きの方向といい、リズムを感じさせる。



《唐獅子図》


獅子図の向かって左側には、逆立ちをしている獅子が、その右側に逆立ちを横目に見ながら、いまにも飛び上がろうとしている獅子の姿が描かれている。獅子の図柄としては非常にユニー クな構図であり、そこに宗達の自己主張を読むことができそうだ。左側の獅子の図は逆立ちをしているようにも見え、また、寝そべっているところを上から俯瞰したようにも見える。右側の獅子図もまた、画面いっぱいに描かれている


《波と麒麟図》



《金地着色松図》


養源院の客殿には、宗達の襖絵が二十面あったが、今日ではそのうち十二面が残っている。

金地着色松図は座敷内東面に配置された松図。うねるような松と、岩だけを組み合わせた単純な図柄だ。単純なだけに、迫力がストレートに伝わってくる。桃山期の障壁画は、松の枝が画面を飛び出るように描くのが主流だが、宗達のこの松は、全体をそっくり画面のなかに収めている。その分こじんまりとまとまり、いささか迫力に欠けるとの評価もある


《その他みどころ》


・血天井

・庭園

・ヤマモモの木

・「菊」「葵」「桐」の紋章



◎血天井


天井を見上げてみると、血で染められた跡がある。関ヶ原の戦いの前、徳川家康の留守中に徳川方、鳥居元忠以下2000人余りの兵は伏見城で留守番役をまかされるが、石田光成を中心とした反家康派、4万の兵が挙兵、城を包囲される。13日の戦いの末伏見城は落城し、残った380余人は伏見城の中で自決した。その後、2か月以上放置され凄惨な状況の廊下の板は洗っても跡が取れず供養の為、養源院の天井にはりその霊を供養した。

他に伏見城の血天井のある寺院として正伝寺、源光庵、宝泉院、興正寺などがある。



◎鶯張り廊下


本堂の廊下を歩くと、うぐいすの鳴き声のような音がすることから、「うぐいす張りの廊下」と呼ばれている。この廊下は、日光東照宮『眠り猫』を彫ったとされる江戸時代初期に活躍した伝説の彫刻職人・左甚五郎の作品といわれ、ゆっくり歩くほど音が出やすいのだとか。



◎庭園


養源院の庭園は、小堀遠州が作庭したものと伝わっています。小堀遠州は遠州流で知られる茶道の祖ですが、近江小室藩初代藩主であり建築や作庭などでも知られている人物です。

小堀遠州の父である小堀正次は、浅井長政・豊臣秀吉に仕えていました。この庭園は、東山連邦にある阿弥陀ヶ峰をバックとしており、この阿弥陀ヶ峰には豊国廟があり、そこは遺言により豊臣秀吉が眠る場所とされている。



◎ヤマモモの木


庭園の一角には樹齢400年を越えるヤマモモの巨木があります。このヤマモモは、豊臣秀吉が伏見城内に手植えしたもので、後に移植されたものと伝わっています。平成13年度に京都市指定保存樹となった。大変風格のある樹で、しめ縄がされ鳥居もあります。



◎「菊」「葵」「桐」の紋章

お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されている。お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。

「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの家紋を見ることができる。











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